京焼・清水焼Report
作家
作家インタビュー Vol.1 俊山窯 森俊山氏
2018/08/17
京都・東山区の泉涌寺の麓。約100年前に五条坂周辺から移り、大正6年に開窯した俊山窯は、このエリアのシンボルである京都青窯会会館の横に窯を構えます。3代目当主の森俊山氏は、若き頃より日展の入選を重ね、常に一目置かれる存在となりました。現在、日展10回入選、日本陶芸展、朝日陶芸展、他多数の入選を果たされています。作家と窯元。その二面性をあわせ持つ俊山氏にお話を伺いました。
1. 尾形乾山の写しを得意とする開窯100年の歴史ある窯元
—作品の特徴を教えてください。
代々俊山窯は、江戸時代中期の陶工で、京焼の祖の1人である尾形乾山の写しを得意としています。初代が、九谷焼で習得した技法で京都に窯をおこしました。二代目である私の父が、「京都・清水焼」の伝統を継承し、現代の感覚に反映させました。それを三代目である私が受け継ぎ、独自の視点を加えながら、今に至ります。乾山写しには、鉄絵や銹絵と言われる渋い柄のものもありますが、陶肌を埋め尽くすように描かれた四季の花々が、俊山窯の真骨頂とも言えるものです。
2. 若い頃は、日展作家の宮下善寿先生の下で修業を重ねた
—修業期間はどれくらいですか?
高校を卒業し、陶工訓練校、京都府京都市工業試験場の陶磁器研修コースに行きました。その後、一度家に戻りましたが、「もっと世界は広いのではないか」と思い、日展作家の宮下善寿先生の所に弟子入りしました。21歳〜28歳までです。善寿先生はもちろん、その息子さんである善爾先生にも大変お世話になりました。芸大などでも教えておられた善爾先生には、現代的な手法も教えていただきました。修業時代は厳しかったですよ。給料も少なかったですし、夜は12時くらいまで働いた。でも、空いている時間には本を読んだり、展覧会に行ったりする時間などを与えていただいていました。いろいろなものを見て、トータルで作品は良くなるからと。
—陶芸家を志したきっかけを教えてください。
昔から勉強が嫌いでした(笑)私は、3人兄弟の次男ですが、小さい頃から親父に「陶芸はいいぞ〜、楽だぞ〜」と吹き込まれて育ちました(笑)自然と陶芸の道を志していました。子供の頃からこの辺りは陶器のまちで、粘土を投げたり、窯に隠れたりして遊んでいましたから、陶芸は身近なものでした。
3. 300年前の技法「透し彫り」に現代の空気をプラス
—作品づくりを始めた頃と現在では、作風や作り方に変化はありますか?
28歳で家に戻った頃は、自分好みの作品ばかりを作っていました。作家活動を主としていて、手捻り技法による花器や調度品を作り、日展などに出展をしていました。雲の中を風が通っていくようなところをイメージした大作では、60cmほどのものもあります。
父が病気になったこともあり、35歳頃からは、窯元としての仕事をするようになりました。私の窯では、乾山写しを得意としておりますので、乾山写しを始め、京都の料理屋さんの食器の制作です。300年前の人物である乾山に想いを馳せ、「今の時代ならどう書くだろう」などと考えながらね。そうしているうちに、伝統的な仕事の奥深さと難しさ、同時に面白みもわかってきました。
—ご自身の代表的な作品は?
透し彫りですね。300年前からある技法ですが、私の代から始めました。京焼・清水焼は土が取れない産地なので、瀬戸、信楽、伊賀の3種類の土を配合して使います。京焼・清水焼の特徴ですが、土を配合するからこそ色、風合い、形状を変えさまざまな作品を作ることができます。
この作品は、二重構造になっています。まず、轆轤で大きめの器と一回りほど小さめの器を作り、かぽっと合体させます。表面に下絵を描き、柄と柄の間を掘っていきます。形が崩れずかつ彫れるくらいのやわらかさまで乾かします。繊細な技法ですから、焼きあがってから掘ったところが割れてしまっていることもあります。そうすると修復できないので、ロスになりますね。手間がかかる分、愛着のある作品です。伝統工芸品であっても、従来の物を真似ているだけでは現代に受け入れられないので、食器を作る上でも現代の感覚と創作性が必要だと思っています。そういう意味では、作家活動が役に立っています。
4. 泉涌寺の参道を散歩しながら自然を感じ、作品に投影する
—仕事で疲れた時のリフレッシュ方法は?
近所にある泉涌寺の参道を散歩しています。朝の時間が多いですね。植物の葉や花、自然のカーブや微妙なラインからインスピレーションをもらうこともあります。
5. 京焼・清水焼を海外の文化に落とし込む
—若手の育成はどのようにお考えですか?
最近の若手は、「独立したい、自分でやりたい」という子が多いですね。うちの窯でも、20代の男女に募集をかけるのですが、女性が多くなっている印象です。特に、絵付けは人気ですね。最近の専門学校や大学では、陶芸科がなくなってきていると聞きます。できるだけ、独立したい子を助けていきたいと思っています。
—今後チャレンジしたいことを教えてください。
今は、海外でどう評価されるかということに興味があります。2〜3年前から、京焼・清水焼の業界として海外へ目を向けた活動が増えてきました。最近では、2017年2月にはマルセイユで「京焼・清水焼展」、7月には台湾で展示会を行いました。京都市が後援をしてくれる海外向けのイベントもあります。日本の伝統工芸品の技術や素晴らしさを海外の方にも伝えたい。それには、それぞれの国の文化に合わせた商品開発をすることも大切だと思っています。美術品は、料理に合わなかったりもする。日本の文化、伝統技術は守りながらも、器は日常で使うものなので、その国の文化に合わせていくものだと思っています。私の仕事は、400年の流れを汲むものです。これからも後世に残っていってほしいと思っています。
作家であり、窯元でもある俊山氏。今まで培ってきた独自の経験と感性を活かしながら、新しい京焼・清水焼の世界を切り拓いておられます。