Kyo Ware / Kiyomizu WareReport

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作家インタビュー Vol.2 高野昭阿弥氏

2018/08/21

京都・東山区今熊野日吉町。日吉窯と呼ばれるこのあたりは、大正2年に五条坂周辺より移った故西仁太郎氏により登窯が築窯されて以来、窯業池として京焼・清水焼の発展を支えてきました。平成26年には、100周年を迎えた歴史ある場所です。この一角で窯を構える2代目当主高野昭阿弥氏。50余年に渡り、作陶に打ち込んでこられました。作家ではなく、あくまでも職人に徹する昭阿弥氏にお話を伺いました。

 

1. 陶芸は小さい頃から身近にあった

—陶芸家を志したきっかけを教えてください。

 

小学生の頃から、父の陶芸の仕事を手伝っていました。昔は登り窯でしたので、小学生ながらに色々と手伝うことがありました。私は、男4人女性2人の6人兄弟の次男です。兄が別の仕事に進んだので、気づくと私が継ぐことになっていました(笑)当時から、家には職人さんが来てくれていましたし、誰かがやらなければ迷惑がかかる。私が継がなければと思いました。

 

—修業期間はどれくらいですか?

 

 旧京都市立美術大学、現在の京都市立芸術大学で日本画を専攻し大学院まで進みました。そして卒業してすぐに、家を本格的に手伝うことになりました。大学時代も変わらず手伝っていましたから、父に弟子入りというわけでもなく、引き続き手伝うっていう自然の流れで。小さい頃から絵付や轆轤の仕事ぶりは見てきましたが、誰かに正式に習ったことはなく、見よう見まねで覚えました。昔から仕事をしている人を見るのが好きでした。手仕事が好きでね。小学校の時、家に帰るまでにえらい時間がかかりましたよ。昔は店がいっぱいあったから。魚屋さんで魚を開いているのを見たりね。

 

2. 個性となった絵付けの力

—仕事に就いてからの経歴を教えてください。

 

父は主に成形を担当していましたが、私は当初から絵付を主に担当してきました。こういう仕事は、前にあったものの真似から始まるからね。最初から独自を追求することは考えていませんでした。私は、陶芸は仕事と決めておりますので、コンクールなどにも一切出したことはなく、作家活動はしていません。両方やると自分もしんどくなってくるのでね。  父が得意としていたのは、磁器の煎茶と抹茶の茶道具。明治の頃は煎茶が主流でしたが、大正から昭和にかけては抹茶が主流となりました。今は途絶えてしまいましたが、五条坂におられた柴田如阿弥さんに父は師事しておりました。父が最後の弟子だと聞いています。“阿弥”の文字をいただき、昭阿弥と名乗ったそうです。私はそれを受け継ぎ、平成5年に2代目となりました。

 

—作品の特徴を教えてください。

 

仕事をしてきた50余年の中で、作るものも移り変わりました。20代の頃は、父の仕事であった煎茶や抹茶の茶道具を作ることが多かったですね。今は、食器が主体で、茶道具は全体の2割ほどです。食器は、東京や京都の料亭で、主にお使いいただいております。  うちの窯の代表的な作品となっているのは、祥瑞、交趾、色絵です。祥瑞は昔からやっていますが、交趾や色絵は私が30代頃から多くなってきました。時代とともに、色が入っているものが望まれるようになりましたね。始めたきっかけは、お客さんからの声が多くなったからです。黄交趾の需要が一番多く、他に緑交趾や紫交趾があります。色絵は、使用している色が多いのが特徴です。このような色の感覚は、大学時代に培ったものかもしれませんね。

 

3. 職人たちとともに窯を守る

—現在、職場はどのような感じですか?

 

父の代では、職人さんは4〜5人いました。現在は男性3人女性8人の11人で、多い時では18人おりました。妻も手伝ってくれています。女性が多くなりましたね。女性は、根気もあるしきちんとしているので、絵付けに向いている気がします。男性は力がいるところもあるので、成形を担当してもらっています。この辺でも、職人さんを抱えている窯は減りましたね。窯自体も減っています。私の子供は女の子ばかりですが、みんな違う仕事をしているので、ここを継ぐ予定はいないです。

 

—職人との関わり方は?

 

自分の浮き沈みは出さないようにしています。職人さんたちを不安にさせることになりますしね。怒ることもないですね。相手が理解してくれることが一番なので、理解してくれるように話します。私自身は、個展はしていません。昭和55年に先代の記念に、祇園ホテルの下の画廊で、黄檗陶匠の記念展を催したのが最後です。ただ、職人さんたちが、展覧会などに出品するのは、口は出さないけど、応援はしたいと思っています。現在でも、仕事が終わってから作品を作り、出品していますよ。

 

4. 仕事の糧となる趣味の絵

—尊敬する人物はいますか?

 

好きなのは、セザンヌやゴッホです。私の孫も油絵を習っていまして。家の応接間にも、孫が小学3年生か4年生の時に描いた絵が飾られています。一つ欲しいと言ってもらいました。私より上手ですよ(笑)

 

—仕事で疲れた時のリフレッシュ方法は?

 

普段からよく美術館に行きますが、やっぱり仕事に活かそうとどこかで思ってしまうので、疲れますね(笑)本当にリフレッシュできるのは、仕事と切り替えられる、趣味の絵を描いている時かもしれません。

 

5. 望まれるものを作り続ける職人の心

—どのような想いで作品作りをされていますか?

 

雑な仕事はしないよう、真面目にすることを心がけています。前やっていた程度と同じような作品は作っていかなきゃならない。「前とえらい違うな」と思われたら、信用に関わりますから。歳を取ると線を引くのも下手になったりする。そういう部分は、若い子に任せています。
食器が好きですね。良かったら売れるし、悪かったら売れないからわかりやすい。凝ったものを作ってはいるので、安くはないけど、値段はあげすぎないようにしています。食器は実用品ですから。卸している食器の種類は、数え切れないです。卸し先ごとに、全て違うものを卸しています。対話や試作を繰り返しながら、完成させていきます。
「最後は昭阿弥さんに言ったらなんとかなるだろう」と卸し先には言われます。技術が多いということよりも、言われたらなんとかしたいと思っているからです。お客さんから望まれるものを作っていたい。それは、私の個性かもしれません。要求に応えられるよう、日々努力をしています。

あくまでも職人に徹する昭阿弥氏。人知れない努力で生み出し続けられる食器が、今日もどこかで誰かの食事を豊かなものにしてくれています

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